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  • 1945(昭和20)年
  • 京都府加佐郡大江町(現・福知山市)に生まれる。
  • 岡山県久米郡弓削町(現・久米南町)で幼少期を過ごす。
  • 1961(昭和36)年
  • 岡山県立津山工業高校に入学。野球部に入部し、ポジションはキャッチャーだった。
  • 1964(昭和39)年
  • 岡山県立津山工業高校を卒業。卒業後、山陽電気鉄道(神戸市)に入社。この時の経験から読み切り作品『鉄道』が生まれる。
  • 1969(昭和44)年
  • 学歴主義に失望し、山陽電気鉄道を退社。退社後、岡山に戻り久米南町役場に勤める。しかし3ヶ月後に退職。のちに、この久米南町を舞台にした読み切り作品『ローカル線』が描かれる。
  • 単身大阪に出て、ビアホール、キャバレー、パチンコ店、寿司屋など30種類以上の職を経験する。働きながら、持ち込み原稿を描き続ける。
  • 1970(昭和45)年
  • 『屋台』がビッグコミック新人賞で佳作受賞。しかし連載につながらず、デザイン会社に就職する。
  • 1975(昭和50)年
  • デザイン会社を設立。昼間は仕事をし、夜は漫画を描く生活を続ける。
  • 1983(昭和58)年
  • 資金繰りが悪化し、デザイン会社倒産。この時の経験が『ナニワ金融道』 につながっていく。
  • 1987(昭和62)年
  • 『現象形態と本質』が「週刊漫画サンデー」に掲載される。
  • 1989(平成元)年
  • 『50億円の約束手形』がアフタヌーン四季賞で佳作受賞。
  • 1990(平成2)年
  • 『彼岸と此岸の間で』がアフタヌーン四季賞で準入選受賞。 『ナニワ金融道』が「モーニング」で連載開始。45歳で執念の連載デビューを果たす。
  • 1992(平成4)年
  • 『ナニワ金融道』が第16回講談社漫画賞を受賞。
  • 1997(平成9)年
  • 『ナニワ金融道』連載終了。同時に漫画家引退を宣言する。『ナニワ金融道』は累計発行部数1000万部を突破する大ヒット作となる。引退後、「朝日新聞」でコラム「ナニワ資本論」連載開始。
  • 漫画家引退後も、活字本の執筆や講演の依頼を精力的にこなす。
  • 1998(平成10)年
  • 『ナニワ金融道』が第2回手塚治虫文化賞優秀賞を受賞。
  • 2003(平成15)年
  • 肺がんのため逝去。享年58歳。

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